近しい人を亡くして、強い罪悪感に苛まれているのであれば、それはあなたがその人にそれだけ大きな愛を注いでいた証拠である。

祝祭

金持ちも貧乏人もみな一律に裸で生まれて来て、火葬場で服を焼かれ裸になって死んでゆく。こう考えてみると人生は壮大な『裸祭り』と言える。人生を「天下の奇祭」と捉えれば、かなり気が楽になってくる。

最期には

医者にもどうにもできない。死は病ではないから。

拠りどころ

経済的に裕福な人間であろうが、貧しい人間であろうが、すべての死は平等にうす汚い。生そのものが機能を停止するからだ。そこに人間存在の本当の姿をみる。

慈悲の雨

これから逝く人の傍で何の恨みも抱かず、ただ慈悲の心をもって接すれば、あの世からメッセージがもらえる。偶然だったり、夢だったり、虫の知らせという形で奇跡をみせてくれる。そして、あの世はあるのだと確信する。 おそらくは逝く人...

あの世とは

あの世とは「全体」である。この世とは「個」である。個がないと全体を感じることができないので我々は「個」として生まれおちた。個が全体に帰るのが「死」。生きながらにして全体を感じることができるようになるのが「悟り」。

生き様と死

その人の生き方と死はまったく関係がない。どんなに金持ちでも便所で糞を踏ん張っている時に死ぬ人間もいる。低俗な死はなく、高貴な死もない。すべての死は平等である。

死の本質

深い睡眠と同様に死を迎えれば意識はなくなる。そして死の状態から誰も戻ってきたことがない。よって「死」とは生きている人間が創り出した概念でしかない。概念に怯えたり焦がれたりすることなく、死が来たら、その時に死ねばよい。毎晩...

Dead Man Walking

どういう因果によるものか、生来私のもとには次々と不吉な出来事がやってきて、その都度、悲嘆し、時にあきらめ、陰鬱な気持ちに苛まれ続けてきた。ある意味、私は何か事が起きる度に死んだのだと思う。私にとって東京は大きな墓場で、「...

「生」を捉える

「人間とは生と死との間でさまよい、離れようと思っても離れられず、うごめき、捨てようと思っても捨てられぬ愛憎、また悟ろうとあがく生の人間、この悲しい生命ある者の姿、ここから離れられないのだ、という自覚のもとに、仕事をしよう...