環七のネズミ

 いまから25年前のことだ。事業を営んでいた私の実家は、バブル崩壊の煽りを受けて、見る見るうちに経営に行き詰まっていき、借金に借金を重ねたあげく、あえなく倒産した。ありとあらゆる人間の怒号と、泣き声と、脅しが嵐のように押し寄せ、瞬く間に自宅は競売にかかり、茫然自失のまま一家は離散した。

 私は大学を中退した後、逃げるようにして、杉並区のボロアパートに引越し、弟とそこで同居生活を始めた。アパートは「第二のぞみ荘」といった。「第二」というからには、当然、近くに第一のぞみ荘もあるものと思っていたら、前年の地震で倒壊寸前の状態となったらしく、すでに取り壊され、更地となっていた。

 引っ越した後、渋る大家からそのことを聞きだし、すべてに合点がいった。第二のぞみ荘の床は明らかに傾いていた。ねぐらを探すのに必死で、焦っていたことと、内見をしたのが夜だったが為に、そのことに気づかなかった。いや、気づけなかった。

 奇しくも時を同じくして、環状7号線沿いの一帯では、ドブネズミが異常繁殖し、マスコミでちらほら取り沙汰されていた。当時、同じ一帯で、相次ぎ発生していた不審火も、ネズミたちが電線を齧り、漏電したことが原因だという真しやかな噂も流れていた。そこまで増殖したそもそもの理由については、度重なる地下工事の影響だとか、ゴミによる飽食、近隣河川の汚染などが挙げられていたが、結局のところ、誰もその要因を特定できなかった。 都心に引っ越してきたばかりだった私と弟は、近辺の地理がよく分かっておらず、そんなことなど、対岸の火事ほどにしか思ってなかった。

 しかし、引っ越し後はじめての週末、アパートのすぐ裏手に元はドブ川だったと思しき暗渠があることに気づいた。暗渠は東の方向にまっすぐ延びていた。なぜだかとても悪い予感がして、その日のうちに二人で暗渠の上をトコトコ歩いてみると、ものの10分足らずで環七に出た。すなわちそれは、我が家がドブネズミ専用の直線道路に隣接していることを意味していた。

 案の定、ある晩を境に、環七のネズミたちは一斉に襲いかかってきた。毎晩のように、換気扇のパネルカバーをガリガリとこじ開けようとする音や、天井を駆け抜けるヤツラの足音が聞こえてきた。このままでは早晩、部屋に侵入されてしまう、と恐怖にかられた私と弟は紙粘土とガムテープを使い、必死になって換気扇や天井板を目張りした。

 こうしてネズミとの死闘に明け暮れていたある日、おばあちゃんが遠路はるばるやってきた。難民のような暮らしをおくっている我々兄弟に、なんとか手料理を食べさせようと、食材をたくさん背負って泊まりにきてくれたのだ。長らくまともな食事から遠ざかっていた私と弟は、夢中でスキヤキを食べた。飯を食って泣いたことは後にも先にも、この時だけだ。「明日、おまえは死ぬが、最後に何を食べたい?」と神様に問われるならば、迷うことなくこの時のスキヤキを希望する。

 食後、ネズミの一件を話すと、おばあちゃんは美味そうにタバコをくゆらせながら、こう教えてくれた。
「ネズミはね、その人が一番大切にしているものを盗っていくんだよ。」
不思議なことに、おばあちゃんが泊まったその夜、ネズミたちはまったくやってこなかった。

 そして、翌日の夕方、おばあちゃんを近くの駅まで見送りに行き、スーパーマーケットで買い物をしてからアパートに戻ったところで仰天した。浴槽で大きなドブネズミが溺れ死んでいたのだ。風呂場の窓が僅かに開いたままであった為、ネズミはそこから侵入したようだった。ところが、濡れた壁面で足を滑らせてしまい、水が張られた浴槽に転落したものと考えられた。

 その数年後、おばあちゃんは血が作れなくなる病気に罹り、この世を去った。葬式が終わり、弟と中央線で帰宅する時、夕方の空一面が深いブルーに発光し、それがずっと続いた。その景色を眺めていると、電車があの世に向かっているような気がして、何故か私はあの時のネズミを思い出していた。あの日、環七のネズミが盗んでいったものは、おばあちゃんの命だったのだ。

(I.F. 東京都 タクシー会社勤務)