練馬オアシス慕情

 三年前に父が他界するまで、私の実家は「としまえん」のすぐ目の前にある商店街で小さな精肉店を営んでいた。プール客でごった返す夏休みは稼ぎ時で、毎年私は店先の露店でヤキトリを売るアルバイトに借り出された。

  毎朝、自宅の台所に座り込み、尻に汗を滲ませながら鶏肉に串を打ち、昼頃から日が暮れるまで炭をくべた焼き台の上でそれを転がし続ける。顔や手が赤く腫れ、みすぼらしい姿になるのが夏の常で、そんな私についた仇名は『テキ屋のたー坊』だった。

  多感な少年にとってこの呼称は屈辱でしかなく、私は夏と備長炭ととしまえんをひたすら呪った。「ハイドロポリスなど崩れ落ちればいいい」といつも思っていたし、奇抜なCMをテレビで目にする度にすぐにチャンネルを変えた。

 いまさらながら、私が育った練馬区向山はつくづく奇妙な土地だと思う。都心の住宅地の只中にプールつきの遊園地が浮遊するように存在し、近隣の練馬駅から僅かな距離の鉄道が延び、夏の間にはこれに乗って夥しい数のよそ者が訪れ、付近はリゾート地のように夜までうかれ、週末には花火が打ち上げられる。そして、夏が終わると嘘のようにその狂騒が引き、文字通り、祭の後の静けさがやってくるのだ。

「てめぇがしけたツラしてるから客が寄ってこねぇんだ」
「あーあー最近の親ってーのは、ガキにゴミの片付けすら教えらんねぇのかねぇ、まったく」
神田生まれの父は尋常ではなく気が短く、いつも家族や客の文句ばっかり言っていた。そんな父は毎年としまえんのプール開きの頃になると、妙にそわそわしだすのだった。

「よしっタダシ、いいかよく聞け。今年はヤキトリだけじゃなく、焼きトウモロコシもやってみようじゃねぇか」
「よしっタダシ、いいかよく聞け。今年はイカ焼きもやってみようじゃねぇか」
「よしっタダシ、いいかよく聞け。今年は焼きハマグリもやってみようじゃねぇか」
といった感じで、父の要望により年々露店の売り物は増えていったのだが、そもそもヤキトリだけで十分利益がとれていたにも関わらず、門外の品をわざわざ仕入れてまで売るというのはどういう了見なのか?子供心にも到底合理的とは思えず、不思議で仕方がなかった。

 とにかくメニューが増えたことで、混雑時の作業がすこぶる大変になり私はうろたえた。体が疲弊しているために串で手を刺してしまうことが多くなったし、腕の火傷がよりひどくなった。顔は常に上気した感じがして、ずっと体に熱がこもっているようだった。

 そして、真夏のある日、ついに私の我慢は限界に達した。営業中に突如、店先を飛び出して、私は夢遊病者のようにそのままとしまえんへと向かった。プールに入りたくてどうしようもなくなってしまったのだ。油まみれの小汚いTシャツとズボンのままプールに飛び込んでやろう。後のことなんか知ったこっちゃない。そう思った。

 としまえん一帯はかつて城があった景勝地なので、じつは緑が深く、そのため死角が多い。私は地元の子供達だけが知っている秘密の入り口から園内に忍び込んだ。やいなや、全力でダッシュして何の迷いもなく流れるプールに足から飛び込んだ。幸いなことに、あまりの早業に監視員は誰も私に気づいていなかった。顔を空に向けて何も考えず死んだようにただ浮かんだまま、私は流れるプールを一周した。

 家族連れの声が水の中に聞こえる。しばらくプールの流れに身を委ねたまま黄色い声を聴いていると、自分の中から熱が去り、妙に冷静になっていくのが分かった。

「どうだった中は?」

 店に戻ると、父は露店で鳥肉を焼きながらズブ濡れの私を横目で見て言った。意外にもその口調は優しかった。殴られることを覚悟していた私は意表を突かれ、押し黙ってしまった。「どうだったんだ、としまえんは?」父は再び私に訊いた。

「みんな楽しそうだった」
私はそう答えた。すると父は大きく頷いた。
「そうだろう。ところでオマエは中で何か食べたことがあるか?」
園内のフードコートで友達と何度か食べ物を買ったことがある、と私は答えた。父はまた大きく頷いて、口を開いた。
「それならば知ってるだろうが、中の物は値段が高い。そして、どれも不味い。」
その通りだが、それがどうしたというのだろう?私はそう思った。

「いいか、ここはハワイじゃねぇんだ。金持ちばかりが来るわけじゃない。中には生活が苦しいところやっとの思いで家族を連れて来ている客もいる。さっきオマエが見てきたように、みんなここへ楽しみに来てるんだ。それにも関わらず、せっかく買った食べ物がひどいものだったら、としまえんの思い出まで楽しくなくなっちまう。そうだろ?」

  父の言葉の妙な説得力に気圧されて私は思わず「はい」と答えてしまった。うちのヤキトリやイカ焼きも決して安くないのでは?という疑問が一瞬脳裏をよぎったが、父の胸の内にこんな想いがあったことを初めて知り、すこし驚いた。

「小さくてもいい。だけど本当に楽しい思い出をみんなに持ち帰ってもらう。それが商人の仕事よ。」

夏になれば、店先でヤキトリを頬張る子供たちを嬉しそうな顔で眺める父の姿を思い出す。

(T.O. 東京都 居酒屋経営)