なぜ僕は僕であって君ではない?

もとより子供の自我は希薄で、成長するにつれて色がついてくるものかと思うが、不幸なことに私は自分というものがよく分からないまま大人になってしまった。

保育園でも小学校でも中学校でも、ふとした拍子に自分が自分であることに違和感を感ずることがよくあった。そんな時は決まって心が透明になって周囲との境がなくなるような感覚に陥った。少年の私はこの感覚を「透明病」と名づけた。

爾来、私の人生はこの透明病に折り合いをつけるためにあった。透明であって困る状況は、周囲から私という特定の自我が期待されるシーン、つまり、家庭や学校や職場といった社会全般である。そもそも透明なのに、ある一定の色を求められても、それは苦行でしかない。これに耐え得るために、私には長きにわたる訓練が必要だった。事の性質上、師はいなかったし、みずからを客観的に見つめようにも、もともと透明なものを見つめることは困難だった。だから私は社会に体当たりしながら、仮定された私の像を作り上げていくことを試みた。

そして、たくさんの失敗を経験した結果、ようやく辿り着いた自分像は「人からどう思われようが全く気にしないブリキの玩具のような人物」だった。こうしておけば、透明病による意思の齟齬あるいは沈黙が生じたとしても、何か独特なタフネスを醸し出しているように見えて、大抵は相手が鷹揚に受け止めてくれるか、根負けするかのいずれかに至ることが分かった。ただし、この方法は便利である反面、獄中の処世術に似てエンドレスで救いがない。

しかしながら幸いにも少年の時分から透明でいることが許される時間があった。それは森の中にいる時間、音楽の時間、美術の時間である。もし、こうした時間がなかったとしたら間違いなく気が狂っていただろう。

私は生に対してインスピレーションを与え続けてくれたこうした時間に感謝の念をこめて、死ぬまでの間、私なりの方法で言葉を記録することを思いたった。その対象は日常である。

ここで使われる「私」「あたし」「僕」「俺」などの人称代名詞はある特定のパーソナリティを示していない。時にそれは筆者であるかもしれないし、別の誰かかもしれない。私にとってそんなことはどうでもよい。他者は私であり、私は他者である。溢れるように立ち現れる精神に命の実相をみる。

(I.K. 東京都 ホームレス)